リスク気にしてちゃ、気楽に生き延びられないっす。



今から6年ほど前に、子宮筋腫の手術をした。
この時は、お腹の上から筋腫の形がわかるほど、成長していた。
痛みも出血もなく、ただ物理的に筋腫が大きくなって行くので、
手術に対する不安は、皆無で、
むしろ手術が、楽しみで仕方なかった。


手術は無事成功。
エコーに映っていた筋腫は、約3つ。
しかし腹を開いてみれば、その数18コ!
手術時間が、1時間以上長引いてしまった。
術後は大した痛みもなく、すぐに退院→仕事に復活。
その時摘出した筋腫は、記念に貰ってきました。自分のモノだもんね。
ホルマリン浸けの筋腫は、まるでジャガイモみたいで、
グロさのかけらもなく、拍子抜けな訳です。




去年、酷い貧血になり、治療をしていたのだけれど、
突然、ドラマのようにブっ倒れ、緊急入院。
血栓が飛んで、死にかけました。
恐らく、再発した筋腫から飛んだモノだと考える。


意識はあったものの、脈拍200を超え、
無能な当直医の指示で、そのまま帰されていたら間違いなく死んでたな。
その医者は安定剤を打って、


帰宅し様子を見るようにと主張していた。


意識がなかったら、通常の第3次救急になる。



このような状態で意識があるのは稀で、しかも不慣れな医者なら、
当然のように、精神病だからって見解(押しつけと思い込み)なんだろう。
いくら精神病でも、脈拍までは演技出来ないってば。
約7時間に渡り、その当直医と闘い主張したコトで、
他の医師にバトンタッチ、一命をとりとめる。
7時間の間、脈拍はずっと200超え・・・気分は死人。


バトンタッチした医師、検査スタッフは顔青ざめてたなー
死んじゃったら、ニュースになっちゃうからね。
こんな状態で放置されたワタシは、運がないのか?何なんだ?



医師に不安を感じたら、
担当医替え主張をしよう!



あと全部ではないだろうけれど、○○中央病院とか、
中央系の病院は、看護婦いないのに、患者をどんどん受け入れるので、
ズサンなインターン制度で君臨する、医者が多い。
看護婦(今は看護士って言うんだよね)も、マジ使えないヤツばっかり!
私立大学に近いノリなんだろうね。






ワーファリンって名前は、聞いたコトがあるけれど、
まさか自分が使うハメニなるとは思ってもみなかったよ。
血液をサラサラにしつつ、脈の安定させてるんだけど、
3日間は、脈拍150を切るコトはなく、平均170。
ほんの少しの身動きや寝返りでも、すぐに脈拍200に。
これは、本当に苦しかった。


血栓も改善され、なかなか良い調子できていたのだが、
この時既に、子宮筋腫が再発していた。
去年の時点で、8〜10cmくらいの筋腫を筆頭に、4つほど確認。
通常、筋腫取っちゃえばイイじゃん!ってノリだけど、
手術中に血栓が飛ぶ可能性は否定出来ないと、
手術後、目が覚めないかも...そんなリスクについて、延々説明を受ける。
たらい回しっぽい空気すら、流れていた。



病院としては、死なせたらマズイもんね。
それはわかるんだけど、そんな人はいっぱいいるだろう。


とっとと手術をして!平気だって!


と医者を説得し、術前検査も見事パスしたので、
6年前に手術を受けた同じ病院で、子宮全摘出手術を受けるコトに。
6年前の手術で、腸等が癒着を起こしている可能性が高いと言う説明を受ける。
この癒着が酷過ぎると、大掛かりな外科手術になる為、婦人科では対処出来なくなる。
所詮、開いてみないと分からないので、担当医に丸投げする。




手術の予定時間は、2時間弱。
実際かかった時間は、4時間。



恐れていた腸への癒着がシビアで、S字結腸が放射状に癒着していた。
膀胱への癒着もあり、とにかく出血が凄かったらしい。
約1,4リットルの血が流れた。
とにかく、血が止まらなかったと執刀医が語っていた。
なんとか輸血なし頑張ってくれた執刀医とチームに感謝。
今回、癒着の関係で、子宮の8割ほどを摘出。
2割を残したので、子宮経癌の検診が必要となる。(あぁ、残念;)
今回は何と、30コもの筋腫ができていた。
通常は4cmしかない子宮は、子供の頭位の大きさだった。
母親も、子供の頭くらいだったなぁ、遺伝とかするの?


右卵巣も取りました。まぁ、卵巣は片方ありゃイイんだよ。


当然、貧血も改善され、今まで通りまともに歩けるようになった時の喜びは、
言葉では語れないくらいほどに、すばらしいのであった。





翌日、腸の辺りがもの凄く痛い。ちょっと悶絶。
麻酔の種類によって、術後の痛みには開きがある。
最初の手術は、脊髄にガッツリ注射するタイプので、
これは、術後の痛み止めの効きがすばらしく、全然痛くない。
注射はちょっとグロ痛いけど。


今回は、それがなかった。
よって、術後はダイレクトに痛い。


排尿時にも膀胱や腸に、かなりの違和感がある。
この痛みも、明日になれば改善するだろうと思っていたのだが、
これから数日間、退院してからも痛みは続いた。
固形物をほんのちょっと食べただけで、腸が痛くて、たまらない。
馴染むまでは、仕方ないと思い耐える。
内蔵が拒絶し合ってるのを、身体で感じた数日。


2週間の入院予定だったが、手術5日後には退院させられる。
4日目くらいに、お粥を食べれるようになり、
痛みも和らいだので、これで全快!と喜んでいた。






翌日、朝から気持ちが悪い。
ムカムカする。
食欲はなく、水分さえ摂取したくない。
胃が痛むので、胃痙攣かと思い横になる。
6時間近く経って、痛みはさらに増す。
これはマズイと思い、病院へ電話→受け入れOKとのコト。
タクシーを呼べる状態じゃなかった為、救急車を呼ぶ。
何度も同じコトを聞かれる中、痛みで意識が遠のいていく。


これまた当直医との会話、何度も同じコト答えられないよ!
執刀医を呼んで欲しい!と要求すると、執刀医が来てくれた。
術後イリウス(腸閉塞)だった。
S字結腸の癒着は、完全に剥がされていないので、
そこが閉塞部位となった。
治療法としては、完全絶食(水もダメ)で、
腸を完全に休ませると言う方法だった。



この日から、6日間の完全絶食が始まる。
点滴で水分、ビタミンを補給するが、
栄養が行き渡らない血管は、細くて点滴を受け入れない。
血管は、栄養状態が悪くなると、すぐに細くなるらしい。
左手は既に点滴確保が不可な為、右手で点滴を受ける。
その右手も、針が入らなくなり、
ワタシの右腕はまるでDVの打撲痕のように、無惨に腫れ上がる。
看護婦さんも、目を背けたくなるような悲惨な状態。


この頃になると、食べ物が何なのか、感覚的にわからなくなる。
腸に溜まったガスが出ない為、胃もパンパンになり全くお腹が空かない。
外へも出れない、でも動かなければならない。
精神的に、かなり追いつめられる。
ストレスがピークになった翌日、点滴が外れる。
ずっと出なかったガスが、頼りなげにフォスっと出た。




翌日は、水分のみ。
翌々日から3分粥になる。
絶食後は、全然食べられない。
おかずを1口食べただけで、お腹がいっぱいになる。
でも、体力を付ける為に、少しでも頑張って食べる。
この時点でも、腸の違和感はあったものの、
弱々しいながら、腸の動きが安定して来たので、晴れて退院となる。


退院したその足で、ショッピングに出かけるほど、元気になっていた。
退院して2週間経つが、今では固形物を食べても、
癒着部位が、詰まったりしなくなった。
食前の漢方薬でのサポートは必要だけれど、
刺激物さえ避ければ、かなりイイ感じだと思われる。



しかし、6年前の筋腫摘出で、
今回、腸がこんなにも癒着してるなんて予想もしなかった。
今後、癒着が進めば外科手術が必要になる。
このまま馴染めば、特に問題なく暮らしていける。
大変ではあったけれど、前回も今回も、主治医に恵まれて、
命まで助けてもらって、本当に有り難いと思う。


現状として、産科医がシビアに減って行くと言うのを、
目の当たりにして、複雑な気持ち。
去年、血栓で入院した病院は、婦人科は排除され、
今回の病院では、癌検診はしなくなったらしい。
それでも、妊婦さんの受け入れは完璧なので、
ここら辺は、全然恵まれているんだね。


楽観視は、イカンが、
過剰に不安がっていいると、治るモノも、治らないので、
みなさん、病気の際は冷静になりましょう。
そして、出来るだけ医者を選び、主張するコト。
がんばりましょう。