こんなに引きずる転校生と言う舞台。

飴屋法水さん演出の、"転校生"と言う、静岡在住の女子高生が演じる舞台を見た感想。
自分の思い出し浸り用として、つらつら書いているので、
読み飛ばした方が、賢明だと思われる内容。



転校生を見たのは、2007年の冬。
富士山がよく見える、晴れた日で、舞台のラストで号泣した。


それから暫くは、舞台のコトが頭から離れず、
思い出す度、待ち合わせをした場所に行く度に、心はブレていた。
ピントが合わない、そんな感じに近い。

衝撃的な内容だったかと訊かれると、ちょっと違っていて、
日常にあっさり溶け行くような内容だったような気がする。
でも記憶に深く刻まれたのは確かで、思い出す度に心がブレていた。
今年3月に、転校生再演と聞いて、
懐かしい気持ちと、構えちゃう自分がいたけれど、
結局、静岡と池袋の計3回見に行くコトになった。




静岡SPACへ到着し、懐かしい気持ちで、1年ぶりの転校生を見た。
いざ本番が近付くと、自分の身の置き方がわからなくなる。
前回と同じ、1ばん後ろの席。
下方に広がった客席と、舞台を丸ごと見るコトが出来る席だ。

敢えて1ばん後ろの席を取ったと言うのに、
舞台だけを見たらいいのか、客席の反応も併せて見たらいいのか、
それより気持ちや記憶をリセットして、ニュートラルな状態で見たらいいのか、
よく分からなくて、軽く混乱しているうちに幕が開いた。





以前より台詞が聞き取りやすく、演技が上手くなっている。
その台詞回しが、ちょっと大袈裟に見えて、
以前のピュアで不安げな彼女たちの方が好きだなぁと感じていた。
時間の経過や舞台を重ねるコトで、
こなれて行くのは、決して悪いコトじゃない。
雑音っぽく聴こえていた台詞であっても、整然とする瞬間がある。
そんな風に感じただけ。



舞台の終盤、ひとりの女子高生が飛び降りるシーンがある。
それまでは、女子高生の何気ない会話に、ゆるい笑いもありなんだけど、
飛び降りた瞬間、客席は、水を打ったようにシーンと静まり返る。
一瞬にして緊張と言う重石が、客席を支配する。


その時、教室に残された生徒のリュックに入っている携帯に着信がある。
薄暗い舞台で、何もなかったかのように、
勢いよく着信のランプが光っている。
偶然なのか、演出なのか分からないけれど、
衝撃的で、その光景が痛く焼き付いて離れなかった。


そして、みんな泣いたと言うラストの“せ〜の”で、
前回同様、胸が詰まって涙が止まらなくなった。



ラストの辺りで、軽く喘息の発作が出てしまったので、
落ち着いてからロビーへ向かうと、
今まで舞台に居た女子高生の姿が飛び込んで来た。
凄い活気。
お客さんは捌けてしまったようで、関係者っぽい人しか居ないようだ。
気付くと演出をされた、なのださんコト飴屋さんがいたので
思わず声をかけた。



そんなコト言うつもりもなかったのに、



「見る方にも色々覚悟がいるんだよ!」



などと、失礼とも捉えられるようなコトを言葉にし、伝えてしまった。
よかれと思って伝えたんだと思うんだけど、興奮から出た、
偶発的な言葉だったような気もする。
でもね、改めて思うと、やっぱり見る方にも覚悟が必要だったんだと、
思われる舞台なんだ。


SPACからは、さっきまで居た、日本平が見えた。



池袋芸術劇場、初日。
前から7列目、ド真ん中と言う席で、
今度は思いっきり客席に浸かっているような状態。

転校生には、舞台から客席に出演者が流れ出し、
展開して行く場面が多々ある。
劇場をいっぱいに使うような舞台。



当然、出演者が客席に移動すれば、お客さんはそれを追う。
でも、ちょっと顔を傾けただけでは、移動した出演者を
捉えるコトが出来ないので、身体ごと後方へ向けている人もいる。
本当は思い切り後ろを向きたいのに、どーしたら良いのか分からなくて、
キョロキョロしている人も。


劇場の造りのせいか、声がドルビーサラウンドのような、
バラついた感じの聴こえ方。
このバラつきが程よく自然で、静岡で気になっていた、
こなれた演技みたいな部分は気にならなくなっていた。
客席も笑いに包まれていて、和やか。
自然体で見れたせいか、せ〜のが聴こえても、まだ泣いていない自分。



最後にスクリーンに、女子高生の名前と在校名が映し出されるのだけど、
この日は在校名ではなく、生徒の生まれた日付になっていた。



1996/5/16 ○○ ○○。



活字がドカンと飛び込んで来て、酷く号泣した。
胸が詰まって、苦しくてたまらなくなった。
生まれてきた証とか、死に行く証とか、そんな言葉が頭をよぎった。
転校生と言う舞台を、はじめて分かったような気がした。


も〜ひとつ違っていたのは、
舞台の最初で流れるピアノの旋律に、せ〜のが被って流れていたコト。






池袋芸術劇場、最終日。
転校生を自分なりに分かったんなら、
わざわざ来る必要もなかったのかも知れないけれど、
転校生と言う舞台の本当に本当の最後が見たくて、ひとり見に行った。



後ろの方の席で、もちろんこの最終日が最初って人もたくさん居る。
凄いお客さんだ。
いい意味で、客席がゆるくザワついている。

これだけ話題性があって、お客も入っている舞台なら、
また再演あるよね?って声が後ろで聞こえた。
それと同時に、再演はないんだなぁと確信した。



2007年の静岡から、4回目の転校生。
悔いのないように力を抜いて、舞台を楽しんだ。
何も見落とさないように、
ひとつひとつ、思い出すように。




この日、はじめて泣かなかった。
安堵と言うか、充実と言うのか…心が少し、温かくなった。




それから数日、転校生の夢を見たコトもあって、
心はザワついているようだったけれど、
自分も誕生日を迎えて、ようやく転校生の日の日記を書いている。
書けなかったんだ、何だか呪縛みたいなものがあって。

誰もこの日記を読まなくても、自分の中で、
転校生って言う舞台に、いい意味でケリを付けられるんだもん。
いつかは読み返して、思い出に浸るんだ。




転校生を見て、何が残ったのかと言うと、
言葉で色々表すのは難しいし、こんな舞台だったから、
もし再演があるなら、絶対見た方がイイよ!
なんてコトも思わない。
その場に居た事実があるなら、それでイイんだと思ってる。



今でも残る印象は、ひとつ。
白く輝く巨大な球体が、優しく浮いている。
眩しく、温かい。


そんな感じ。
あぁ、終わった。